2017年06月04日

木津の史跡を訪ねて  他

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6月2日(金)、許乃国教室歴史探訪サークルから
「木津の史跡」の一部を訪ねてきました。
当日はご指導の岡井先生以下
41名の会員がJR木津駅に集合。

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A幹事、指導のもとに全員で出発前のストレッチ体操です。

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JR木津駅から ① 御霊神社 へ向かって歩いていますと路端に
大きな太陽光パネルが並んでいました(上)。

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上が御霊神社正面です。
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拝殿正面(上)と拝殿の中(下)です。
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本殿は流れ造りの一間社です(上)。 以下はネットから参照。

御霊神社(ごりょう じんじゃ)は、木津川河岸の南に位置している。「木津の御霊」ともいわれ、木津郷の産土神として祀られてきた。
 祭神は、天穂日命(あまのほひのみこと) 、天津彦根命(あまつひこねのみこと) 、活津彦根命(いくつひこねのみこと)。アマテラスとスサノオの誓約(うけい)により生まれた男児のうちの次男、三男、四男を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、876年、創建されたという。
 かつては、大路村(木津川市)にあり、その後移転したという。
 江戸時代、1730年、現在の社殿が建立された。
 現代、1983年、造営、整備されている。
◆宮座 神事執行などに際して、氏子内部で独占的機能をもつ集団である宮座がある。
 木津御輿太鼓祭(木津祭)では、総取締「年番」が当てられ、各町の長老が就く。祭礼の際に太鼓台は、宮座の年寄が列座した中を三周する。
◆年間行事 木津市の指定無形民俗文化財「木津御輿太鼓祭(木津祭)」(10月第4土・日曜日)が知られている。
 祭りは江戸時代末期に、豊作を感謝して始まったという。かつては9基の布団太鼓台(御輿)が、2日間にわたり御霊神社、田中神社、岡田国神社の三社を渡御していた。
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 太鼓台組合の布団太鼓台には、彫刻を施した台に太鼓が組み込まれている。木枠をビロードで包んだ布団が三段に積まれ、屋根形にしている。台に子どもが乗り、打ち鳴らす太鼓に合わせて台が繰り出す。夜には、台に提灯がともされ町内を練る。
 現在は5基の台が、土曜日、日曜日のいずれかの1日に、御霊神社、岡田国神社のいずれか一社に参詣する。

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次は ② 上津(こうづ)遺跡です。

上津遺跡は、木津川の水運に関係した奈良時代の官衙(かんが)です。

 昭和51年に発掘調査が開始され、今までに160メートル以上も東西に延びる溝、これに並列する柵列、三面に廂(ひさし)をもつ高級な建物を含む数棟の掘立柱建物、多数の土壙(どこう)などが発見されています。

 またこれらの遺構に伴って多種多様の遺物が出土しています。このなかには、当時の最高級の土器である三彩(さんさい)・二彩(にさい)陶器や、官人が用いていたと考えられる円面硯(えんめんけん)・転用硯(てんようけん)・帯金具・鞘尻金具(さやじりかなぐ)などがあります。他にも当地の需要をはるかに越えた量の須恵器(すえき)や、当地で葺かれていたとは考え難い瓦などがあって、これらは他処から運んできたものと考えられます。

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 以上のようなことから当遺跡は、宇治川・桂川と合流し淀川となって大阪湾に注ぐ木津川の水運を利用して、

各地から物資を大和に運ぶために国家によって設けられた施設と推定されました。

 文献によると、奈良時代の木津川(当時は泉川)南岸は、「泉津(いずみつ)」と呼ばれる港が開かれ、

平城宮や南都諸大寺の出先機関「木屋所(こやしょ)」が設置されていたことがわかります。

この「木屋所」は、木材を始めとする各種の物資の調達を役目としていて、当遺跡と多くの類似点が見受けられます。

おそらく上津遺跡は、この「木屋所」もしくはこれに類する施設であったと考えられます。


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次は ③ 安福寺 です。
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安福寺は西山浄土宗の寺院で、境内には、平清盛の五男で治承4年(1181)に東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした、いわゆる「南都焼討」を行った平重衡の供養塔と伝えられている十三重石塔があります(下)。
寿永3年(1184)に一ノ谷の戦いで平氏は源氏軍に大敗を喫し、このとき平重衡は馬を射られて捕らえられます。その後、平氏滅亡後、焼討を憎む南都衆徒の強い要求によって重衡は南都へ引き渡され、木津川畔で斬首されました。
また、安福寺本尊の阿弥陀如来像は重衡の引導仏と伝えられています。
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 この ④ 平重衡首洗池 で首を洗い持参したと伝えられています(上)。

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その後、重衡を哀れんだ土地の人々は柿の木を植えましたが、

一向に実らず、このことから不成柿と称せられています(上)。


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次は ⑤ 大智寺 です。
泉大橋(国道24号線)の場所には、かつて奈良時代に行基が橋を架けたという。
その後、平安時代に橋は洪水で流されたままになっていたが、鎌倉時代、泉橋の橋柱に文殊菩薩像(下)
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を刻んだ西大寺慈真和尚を開基として橋柱寺と称する寺院が建立されました。
その後、寛文9年(1669)本寂和尚によって再興し、このときに寺名を橋柱山大智寺と改めました。
本尊の文殊菩薩は重要文化財、本堂・庫裏・鐘楼堂・山門・附石造十三重塔は京都府登録有形文化財、
十一面観音(下)は重要文化財に指定されています。
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建築は京の宮大工による質の高いもので、これだけの伽藍は当時の建造物としては珍しいものです。

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次は ⑥ 和泉式部の墓 (上) です。
口碑によればこの地は和泉式部生誕の地といわれ、
これに因んで町名はもと泉町という。

高さ約130cmと小振りながら鎌倉前期の造立だとされる。

和泉式部の墓は京都「誠心院」のものが良く知られていますが他にもたくさんあるようです。


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昼食場所の木津川市・木津グラウンドに着きました(上)☀。
早速、お弁当を出して先生等と楽しい昼食です。
適当に風も吹いて涼しく頂けました。

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昼食後、最初の見学場所は ⑦ 正覚寺洪水供養石仏(上) です。

正徳二年(1712)辰八月十九日の洪水によって、此川筋の近在辺境の人民おぼれ、死するもの幾千人という。

その三周期にあたって建立された由。もとは堤防に安置してあったが、流失のおそれがあるので、当寺へ移された。



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次は ⑧ 木津惣墓五輪塔 です。
木津惣墓五輪塔は、花崗岩でできた高さ3.6メートルの典型的な鎌倉時代の五輪塔です。

 惣墓とは、一般庶民の間に個人墓が普及する以前の葬礼の一形態で、いわゆる共同墓地を意味しています。

現在は、五輪塔を残して他の地蔵や石碑は木津町大字木津小字片山の東山墓地へ移されています。

 五輪塔は、上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪から成り立っています。

木津惣墓五輪塔の空輪は、他の部分とバランスがとれていないので、後に補われたものと思われます。

また、水輪には阿弥陀を表す「キリーク」と呼ばれる梵字が刻まれ、地輪の東・北・南面には、下記の刻名があります。

<東面>
同七月十五日阿弥陀経  一万返光明真言□□ 和泉木津僧衆等
廿二人同心合力  勧進五郷甲乙諸  人造立之各毎二
□彼岸光明真言  一万返阿弥陀経  四十八巻誦之可
廻向法界衆生   正応五年壬辰八月日

<北面>
木津郷□□□廿坪内自  未申角木屋所一段自  藤□□未以光明真言
木・・・・・・・・分 □者・・・・・・時正   永仁四年八月十九日

<南面>
永禄五年壬戌  妙林□□ 道心禅門  妙心道心  十月二十七日
妙□ 善通  妙□  □□  □□

 東面の正応五年は西暦1292年、北面の永仁四年は西暦1296年、南面の永禄五年は西暦1562年にあたります。

 木津惣墓五輪塔の建立要因は、銘文にも記されておらず不明ですが、伝承によれば、木津川の氾濫で死亡した人々の供養のために建立されたとしています。

 なお、この五輪塔は、昭和32年2月19日に重要文化財に指定されました。


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途中、民家で珍しい ブラシの木の花 ? を見つけましたヨ!

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最後は ⑨ 相楽(さがらか)神社 です(上・下)。
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相楽神社は木津町大字相楽(さがなか)地区(旧 相楽(さがなか)村) [ 北ノ庄、大里、曽根山の三区]の産土神として祀られてきました。創立は定かではありませんが、明治10年(1877)に『延喜式』神名帳に相楽 (そうらく)郡一座「相楽(サカラカノ)神社」と
明記されていることがわかりました。
それまでは誉田(ほむだ)別命(わけのみこと)(応神天皇)・神足仲彦命(かんたらしなかひこのみこと)
(仲哀天皇)・気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)の八幡神を祭祀しているので、
八幡宮神社の総称である「八幡宮」と呼ばれてきました。

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ここで全員揃って記念撮影しました。
近辺にどなたもおられませんでしたので私が撮影です。

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JR西木津駅まで行き一応解散。
皆様落伍者もなく無事終了しました。
ご参加の皆様、有難うございました。

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6月1日は天理へ (下) !
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参拝、回廊掃除、昼食後は久しぶりに石上神宮(下)へ。
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新緑がとても綺麗でした!
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この拝殿(上)は国宝です。 
posted by osamu ちゃん at 20:13| 京都 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史探訪サークル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする