2016年09月29日

高槻の史跡を訪ねて

Img_20160924_0001

005

006

過日(9月23日)は許乃国高齢者教室・歴史探訪サークルから「高槻の史跡」を訪ねてきました。 先ずはJR高槻駅へ岡井先生を始め30名集合。 簡単な本日のルート説明を受けてから旧西国街道を通って ① 芥川一里塚 (大阪府史跡) へ。 上、右が芥川一里塚の祠

222_syukuezu

Akuo2

016

上は芥川宿絵図(部分)。 左はエノキ(実は椋の木?)。

西国街道は、8世紀の山陽道の後身にあたり、約8.1kmにわたり市域を東西に貫いています。京から大宰府に通じ、淀川とともに三島地域の政治・経済に大きな影響を及ぼしました。現在の道筋は、14世紀ごろに固定化したとみられ、三好長慶や高山右近、さらには織田信長、豊臣秀吉らが駆け抜けた道です。
江戸時代には脇街道として「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれ、京都・山崎と西宮間を結んで西国大名の参勤などに利用され、同時に京坂間の交通路として重要な役割を果たしました。
街道沿いには、一里塚が設けられ宿場が整えられていました。一里塚とは、1里(約4km)ごとに街道の両脇に塚を築き、エノキを植えて、街道の路程の目印としたものです。市域では梶原と芥川にありましたが、現在は旧芥川宿東口の東側だけに残り、府の史跡に指定されています。

D0c9ed96s

026

029

次は ② 理安寺(リアンジ)  浄土宗の仏教寺院で山号は起行山。院号は総智院。 高槻城の鬼門に当たる位置にある寺町。その中に理安寺はある。元和5年(1619年)、時の高槻城主・松平家信が夫人の菩提を弔って以来、松平氏の菩提寺として繁栄した。

042

051

055

次は ③ 本行寺 (上) です。 高槻藩の初代藩主・永井直清以来、高槻城主の祈願所として厚い庇護を受ける。境内には幕末の漢詩人・藤井竹外の墓があります。

続きを読む
posted by osamu ちゃん at 13:05| Comment(2) | 歴史探訪サークル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする