2016年02月25日

梅花祭 ~ 石切さんへ !

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本日(2月25日)は北野天満宮で梅花祭だったのをニュースで知りました!以下は京都新聞ニュースから抜粋。

梅を愛した菅原道真の命日に遺徳をしのぶ「梅花祭」が25日、北野天満宮であった。神事とともに、恒例の茶会が催され、参拝者は見頃を迎えた梅の花をめでながら野点(ノダテ)を楽しんだ。

本殿では平安時代から続く神事が行われた。 

境内では、安土桃山時代に豊臣秀吉が催した「北野大茶湯」にちなむ茶会が開かれ、参拝者や外国人観光客らが上七軒歌舞会の芸舞妓のもてなしを受けた。

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左&上は、本日(2月25日)ご近所の緑樹帯での老木の梅の花 [E:note]

いまだに元気に咲いていて嬉しいことでした。

0001a_3 一昨日(2月23日)は近鉄・石切駅近くまで出掛け、「石切さん」周辺を散策してきました。 石切と云う名の謂れはネット情報(東大阪の地名といわれ)によれば次の様です。  

今も参詣者が絶えない2000年の歴史を誇る石切劔箭(ツルギヤ)神社からつけられた地名。「石おも切る剣と矢」ということで「デンボ(はれもの、癌)」を治す霊験あらたかな神社として全国的に有名。饒速日尊縁の地で、もともと軍事氏族物部氏の一族保積氏の氏神だったところから優れた武器の持つ霊力を祀ったものと考えられる。「武士」を「もののふ」というのはここかに由来している。「石切」の名そのものは、エミシ語で「イシキルイ」(彼の大いなる脚)長い臑(スネ:膝からくるぶし)を持つ男ナガスネ彦(進藤治氏)に由来している。
  地名、石切は案外新しく、昭和25年、枚岡市政になってから。江戸時代は芝、神並、芝神並、植付と別れ、明治22年合併して大戸村(おおえむら)となる。なお、古代は大戸郷と呼ばれていた。

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003 先ずは千手寺(センジュジ)へ。 寒さの中に白梅(上)も咲いておりました。

寺伝によれば、「平安時代の初め、弘法大師がこの寺に止宿した際、当寺守護の善女竜王が夢に現れ、補陀落山の香木を与えた。大変喜んだ大師はこの木で千手観音像を刻し本尊とした。」 という。

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013a_2次に石切大仏を拝見。ネットによればこの石切大仏は1980年に阪本漢法製薬4代目・阪本昌胤氏が建立した大仏で、台座を含めた高さは6メートルとか。

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次に下って行くと「石切不動明王」が有りました。古くから石切にお住まいの方のネットによれば、この「石切不動明王」は先程の「石切大仏」さんと同様、近年にできたものの様です。

025 「石切不動明王」の前に丁度、食堂「石切丸:すずや」が有ったので、そこで「カキフライ定食」を注文、12時50分頃でお腹も空いており、とても美味しく頂戴出来ました。

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045_2 ようやく石切神社【正式には石切剣箭(ツルギヤ)神社】に着きました。左は案内図には記載されていない大鳥居(昭和55年に建立)から拝殿を臨む。また、上は絵馬殿前から見た様子を上に。

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056横(左)はネットによれば饒速日尊(にぎはやひのみこと)。  手に持っているのが天の羽羽矢(あめのははや)と呼ばれる石をも貫く矢。向かって右が、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の息子の可美真手命(うましまでのみこと)です。

手に持っているのは、饒速日尊(にぎはやひのみこと)より譲り受けた布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)で、石をも貫く剣です。 

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posted by osamu ちゃん at 21:29| Comment(2) | お出かけ・旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする