2013年06月08日

2013年 歴史探訪サークル 第1回例会

014昨日(6月7日)は、2013年 歴史探訪サークル 第1回例会で「木幡と六地蔵の史跡」を訪ねて参りました。今年で3年目となりますが、講師は引き続いて岡井毅芳先生です。

先ず最初に ① 松殿跡へ。 松殿は藤原基房(藤原道長から数えて6代目)の別荘で1230年に此の地で86歳の生涯を閉じたという。

松殿跡に建つ松殿山荘は、大正から昭和にかけて高谷宗範(たかやそうはん)が、書院式の茶道を復興するために建てた道場で、現在も松殿山荘茶道会の道場として維持管理されています。

023022 

020松殿跡地から住宅裏地の細道(左の画像)を通って行くと宇治陵32号、33号(上の画像)へ出ました。この宇治陵32号は道長orその子 頼通の墓所と伝えられています。

029

次は ② 願行寺(がんぎょうじ) です。 願行寺は、1238(暦仁元)年に木幡の関守清水勝宗が一門の菩提(ぼだい)寺として慈心上人を開基に建立。ただ念仏による信心を説く「木幡派」専修念仏の拠点として重きをなした。本尊の木造阿弥陀如来立像のほか、恵心僧都の作と伝わる平安後期の阿弥陀如来座像があり、宇治市指定文化財となっています。

039 

次は ③ 木幡の許波多神社 です。 社伝では、大化元年(645年)、皇極天皇が夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたと伝えられる。壬申の乱を前に大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際、社頭に柳の枝を挿して「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と戦勝を祈願した。大海人皇子が即位すると柳の枝が芽を出したことから、天皇は霊験を賛えて「柳大明神」の名を贈り、社領を寄進したという。

046明治41年(1908年)に旧河原村の田中神社を合祀したため、同社の祭神であった天照大御神、天津日子根命も祭神としている。

境内には「狐塚」と呼ばれる ④ 宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経の墓と伝えられている(左の画像)。

049

057許波多神社の境内の木陰で昼食を頂き、休憩後、 ⑤ 正覚院・長坂地蔵堂へ。

正覚院には木像 聖観音菩薩立像と木像 毘沙門天立像が府・市指定文化財に指定されています。

また、長坂地蔵尊は昔は長坂峠(木幡・炭山境界の峠)に有った様ですが、明治10年に参詣人の便宜や管理の充実を図ってこの境内に遷祀されたとの事。

065

064_2正覚院の後、⑥ 正行寺を経て ⑦ 札の辻(左の画像) ⑧ 山科川堤防(上の画像)で解散となりました。

80歳前後の高齢者も多数参加されていますので、13時半頃の解散となりました。

先生も交えて、仲間と反省会と称してJR六地蔵駅付近の飲食店で一息入れて、それから、徒歩で帰宅しました。参加者36名の皆様、誠にありがとうございました。